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【正論】「飽和点」としての北京五輪 東洋学園大学准教授・櫻田淳 (1/3ページ)
恐竜を連想させる演出
北京オリンピックは、「中国の中国による中国のためのオリンピック」であった。特に張芸謀監督の演出による開会式は、紙や火薬に代表される中国四大発明を織り込み、中国の「威信」を確かに感じさせるものであった。
しかし、筆者は、そうした壮大な演出を前にして、中生代白亜紀の巨大恐竜の姿を思い起こした。振り返れば、1964年の東京においても、1988年のソウルにおいても、そして今年の北京においても、夏季オリンピックは、それぞれ国家としての興隆の途上にあった日本、韓国、そして中国の「地位」を世界に認知させる舞台として使われたけれども、筆者には、膨大な資源を投入して大掛かりなセレモニーを演出し、その「地位」を誇示するという流儀は、此度(このたび)の「北京」に際して遂(つい)に「飽和点」に達したのではないかという想いを禁じえなかったからである。
ところで、『道徳経(老子)』(守道第59)に曰(いわ)く、「人を治め天に事(つか)うるは嗇(しょく)に若(し)くは莫(な)し。其れ唯嗇なる、是を以て早く服す。早く服す、之を徳を重ね積むと謂(い)う。徳を重ね積めば則(すなわ)ち克(か)たざる無し。克たざること無ければ、則ち其の極を知ること莫し。其の極を知ること莫ければ、以て国を有(たも)つ可し。国を有つの母、以て長久なる可し。是を根(こん)を深くし、柢(てい)を固くすと謂う。長生久視の道なり」である。そして、『道徳経(老子)』(弁徳第33)には、「足るを知る者は富み、強(つと)めて行う者は志有り」と記される。
また、『南華真経(荘子)』(繕性第16)には、「古の所謂(いわゆる)志を得る者は、軒冕(けんべん)の謂いに非ざるなり。其の以て其の楽しみを益す無きを謂うのみ。今の所謂志を得る者は、軒冕の謂いなり。軒冕身に在るは、性命に非ざるなり。物の儻(たまたま)来寄するなり」と記される。

