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【グローバルインタビュー】ダライ・ラマ実兄に聞く (3/5ページ)
第2はチベット語の保護の問題です。当時はダライ・ラマがインドに亡命して20年が経過しており、中国内でチベット語が話されているのかどうか分かりませんでした。インドのチベット亡命政府では、ダライ・ラマが中心になって、学校を建設するなど教育に力を入れていたので、そのチベット語を話せるチベット人を中国に派遣して、チベットの子どもたちにチベット語を教えるために、数人のチベット語教師を派遣したかったのです。トウ氏は『それはよい提案だ。チベットばかりでなく、たしかに少数民族地区には教師は少ない。何人くらい派遣するつもりか』と尋ねたので、私は『10人から30人くらい』と答えると、トウ氏は『それは少ない。1000人ではどうか』と逆に提案してきました。1000人もいれば、非常に有用ですが、私の方で、1000人も用意できるかどうか分かりませんでした。トウ氏は非常に大胆だなと思いました。
第3は非常に敏感な問題でした。それは当時の文化大革命(1966−76年)で迫害を受けていた、チベット仏教第2の指導者であるパンチェン・ラマの問題です。私はトウ氏に『パンチェン・ラマの待遇が悪すぎる。もう少し改善してもらいたい』と提案しました。当時のパンチェン・ラマは自由を奪われていた時期が長かった。これに対して、トウ氏はその後、パンチェン・ラマを中国中央人民政治協商会議(政協)副主席に抜擢(ばつてき)した」
−−トウ氏はトンドュプ氏の提案をすべて了承したわけですね
「そうです。ダライ・ラマについても、トウ氏は『過去は過去のこととして、ダライ・ラマが中国に帰還することを希望する。返ってくれば、中国全国人民代表大会(全人代)常務委員会の副委員長に任命するなど、それ相応の対応をします』と言っていました。私とトウ氏と1時間話し合いました。私は、インドに行って、ダライ・ラマにトウ氏との会談について報告しました。ダライ・ラマはこの成果に満足して、今後も中国と話し合いを続けましょうと語っていました。その後も、私はたびたび中国に訪問し、さまざまな中国政府や共産党の要人と会って話し合いました。その後、話し合いは第2回、第3回と私は昨年を除いて、毎年中国を訪問しています」
−−ところで、会談は中国語で行われたのですか
「そうです。私は1945年から48年まで3年間、中国国民党統治下の南京市で、中国語を数年間勉強しました。そのおかげで、中国語の読み書きには不自由しなかったので、トウ氏とは中国で話したのです。だが、トウ氏は四川なまりの中国語だったので、ところどころ聞き取りにくかった。これを中国共産党統一戦線部の副部長が通訳してくれた。中国語の標準語については、私の方がトウ氏よりもうまかったと思います」

