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【話の肖像画】次代へ−熱血スクラム(2)薫田真広さん
□ラグビーU20日本代表監督
■教育実習をドタキャン
≪小中学校時代は野球少年。岐阜工高でラグビーを始め、1、3年では大阪・花園ラグビー場で開かれる全国高校大会を経験。卒業後、筑波大に進学した≫
−−ラグビーを始めたきっかけは?
薫田 中学の恩師が「高校ではラグビーをしなさい」と。高校からも誘ってもらい、『そこまでいうなら』と(笑)。野球には発生しないコンタクト(接触プレー)の楽しさが性格的にも合ってましたね。
−−花園での思い出を聞かせてください
薫田 1年のときは2回戦で敗退。3年は自信を持って臨んだのですが、1回戦で大村工(長崎)と0−0ながら抽選負けしてしまいました。引いたのは僕です。結果はその場で知らされず、アナウンスで流された。それは聞こえなかったのですが、ロッカールームに戻るとき、喜んでいる相手の声が聞こえたのです。今でも悔しい。
−−高校日本代表にも選出されました
薫田 フランカーとして呼ばれたのですが、岡(仁詩・同大元監督、故人)先生の意向でフッカーに転向。スクラムワークも分からず、ウェールズ遠征ではFWコーチに「なぜ試合に出られないんですか」と泣きながら訴えました。昔から負けず嫌いでした。
−−筑波大に進学したのは?
薫田 高校の部長だった先生が教育大出身で「筑波に行け」と。地元に教員として戻ってほしいという思惑があったのかな。4年の主将が同じフッカーだったので、最初は主将に勝つことがすべてでした。
−−成績はどうでしたか
薫田 2年の時から少しずつ強くなり、3年では関東大学対抗戦2位。そのシーズンで日本一になった早大をスクラムで粉砕しながら、今泉(清、元日本代表)に60メートルのPGを決められ、0−3で負けました。初めての大学選手権でも同大に敗れ、完全に経験値の差が出たと痛感しました。
−−卒業後、教員の道は考えなかったのですか
薫田 指導者になっても、毎年未経験者が多く入るチームを作っていくのは向いていないと思い始めました。そんなとき、日本代表の声がかかり、ここで勝負をかけ、社会人でいこうと思ったのです。付属高校で教育実習を受ける予定だったのですが、前日にキャンセルしてしまいました。(奥村信哉)
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【プロフィル】薫田真広
くんだ・まさひろ 昭和41年、岐阜県各務原市生まれ。筑波大を経て東芝府中(現東芝)入り、日本代表キャップ数44。現在U20日本代表監督。

