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【話の肖像画】「走り」続ける(3)君原健二さん
□メキシコ五輪マラソン銀メダリスト
■「円谷さんのために走る」
−−円谷さんとは同学年ですね。メキシコ五輪が開かれる昭和43年の年明け早々、突然の訃報(ふほう)が届きました(精神的重圧やケガによる不振に悩んでいた円谷さんが1月9日、遺書を残して自殺)
君原 無性に悔しかった覚えがあります。高3で同じインターハイに出てますが、お互いの存在を知ったのは3年後、昭和36年の秋田国体。五千メートルで円谷さんが2位、私が3位。共に初めての全国大会入賞でした。初の海外遠征(ニュージーランド)、五輪と(競技者としての)共通の思い出がたくさんあります。私は無口で、冗談を言ってリードするのは円谷さん。今でも残念です。
−−東京五輪後、走ろうとした円谷さんは死を選び、逃れようとした君原さんが活躍した
君原 責任感が強い方でした。(メキシコでは絶対にメダルを取るという)責任感が彼自身を苦しめ、追い詰めていったのではないかと思います。結婚にしても、円谷さんには両親も認めた好きな女性がいらっしゃった。(披露宴の招待状の発送後に)上官の反対で破談になりました。(メキシコ五輪の)スタート地点で円谷さんのことを思っていました。ここに立ちたかったんだ、今日は円谷さんのために走るんだと。
−−そして、円谷さんが後押ししてくれたのではと
君原 その後は走るのに必死でしたが、競技場に入って、私はふと後ろを振り向いたのです。幼いころから父上から絶対に振り向くなと教育を受けていた円谷さんは、東京五輪の競技場で、すぐ後ろにヒートリーがいるのを知らず、抜かれて3位になった。私も普段は振り向かないのですが、あのとき、無意識に振り向いたのです。すると、(東京五輪の円谷選手と同じ)80メートル後方を選手が走っている。それまで、2位だから1人抜かれてもメダルだと思っていましたが、ここまで来たら絶対に抜かれまいと無我夢中で走り切った。円谷さんが天国から知らせてくれたかもしれません。
−−毎秋、円谷さんの実家がある福島県須賀川市の円谷幸吉メモリアルマラソン大会に出場し、墓参りにも行かれてますね
君原 はい。去年は25回大会でハーフを走りました。今年も行きます。お墓にも缶ビールを持っていき、自分なりに今年も頑張ったぞと報告します。(高見修次)
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【プロフィル】君原健二
きみはら・けんじ 1941(昭和16)年、福岡県生まれ、67歳。64年東京(8位)、68年メキシコ(銀)、72年ミュンヘン(5位)と五輪3大会連続出場。元九州女子短大教授。現在は北九州市教育委員で“現役ランナー”。

