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【話の肖像画】56年前の夢特急(2)ヘルシンキ五輪陸上女子代表・星野綾子さん
■世界レベル知る機会少なすぎた
−−ヘルシンキ五輪(1952年)にはほかの選手とは違うものを持っていったそうですね
星野 それは着物です。父が「スポーツ外交をしてこい」と言うので、荷物が増えるのですが、振り袖をバッグに詰めていきました。ハードルの宮下美代選手は在スウェーデンの日本公使館の夫人から着物を借りて2人で着たら、ちょっとした話題になりました。
−−敗戦後、日本が初めて出た五輪でした
星野 大戦後初のロンドン五輪(48年)は日本の出場が許されませんでしたから、ヘルシンキ五輪への思いはひとしお。選手も国民も。水泳は古橋広之進さんが注目されていました。
−−すごいプレッシャーが?
星野 緊張をほぐしつつ鼓舞する11カ条のメモをつくり、試合直前に見るようにしました。「落ち着け(人も上がっている)」「父母そして全ての人が期待している」…。メモは今も残っており、先日見たらちょっと気恥ずかしかったですね。
−−アムステルダム五輪(28年)の八百メートルで日本人女性初のメダルを獲得した人見絹枝さんも、その前の百メートルでは準決勝で終わっています
星野 私の12秒0の記録はヘルシンキ前年の世界9位でしたが、五輪本番は12秒6と伸びず予選落ちでした。でも走り幅跳びは決勝進出。2本目でメダル圏内の5メートル80が出た…と思ったら、惜しくもファウル。ヘッドコーチの織田幹雄さんも「やった」と叫んだのですが、踏切板からほんのちょっとつめの先が出てしまったんです。
−−世界の壁は厚かった
星野 日本は世界の水準を知る機会が少なすぎた。私の幅跳びの記録5メートル75は出発直前の東西対抗で出したもので、ロンドン五輪の優勝記録を上回るものでしたが、世界は急速に記録を伸ばしていました。陸上の日本選手団(男子16人、女子3人)で最高は女子円盤投げの吉野トヨ子さんの4位でした。
−−家族の反応は?
星野 まだラジオの時代。大阪の自宅にBK(NHK大阪放送局)のアナウンサーが中継に来ていて幅跳びでメダルを逃した瞬間「万事休す」と。母や姉たちは「あんなにがんばっていたのにかわいそう」と泣いたそうです。(大家俊夫)
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【プロフィル】星野綾子
ほしの・あやこ 昭和8年、大阪市生まれ。ヘルシンキ五輪で女子百メートルと走り幅跳びに出場。百メートル12秒0の記録は、依田郁子選手が破るまで10年間日本記録だった。芦屋女高、帝塚山学院短大卒。現在、東京都内在住。

