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【正論】福田首相退陣 政治家の「養成」という課題 東洋学園大学准教授・櫻田淳 (1/3ページ)
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福田康夫総理が辞意を表明した。僅(わず)か1年程度の任をも全うできない宰相が2代も続くことが日本の対外信用に与える打撃は、決して小さくないであろう。福田総理辞意表明の結果、自由民主党、公明党、そして民主党の党首を選ぶプロセスが、期せずして同じ時期に重なることになった。これを機に、政治家の「養成」ということの意味を考えることは、決して無意味なことではない。
そもそも、政治家の養成とは、実際は、誠に長い時間が要る営みである。昨今、親族の地盤を継ぐなり高い知名度を持つなりすることが政界進出には有利とされる事情はあるにせよ、選挙で当選すれば、誰でも「政治家」になれるわけではない。
ひとつの政策を練り上げ、実行に移すには、官僚、学術、メディアといった数々の世界の人々の「協力」を必要とする。政治家に要請されるものは、その「協力」を取り付ける際、「彼のためには骨を折ってもいい」と思わせる魅力や技量であるけれども、そうした魅力や技量を身に付けるためには、かなりの長い時間が要るものなのである。
観念ではなく実践の営み
「われわれが取引をする。老人の仕事だ。若者は戦う。戦いの美徳は若者の美徳だ」とは、映画『アラビアのロレンス』に出て来る有名な台詞(せりふ)であるけれども、それは、政治が「観念」ではなく然るべき経験と見識に裏付けられた「実践」の営みであることを鮮明に示しているのである。
そして、それぞれの政党における党首選挙は、それぞれの政治家が「宰相」としての責任を担うに相応(ふさわ)しい魅力や見識を披露する舞台の最たるものである。加えて、党首選挙は、喩(たと)えていえば、「三役」級の人材を「横綱」級の人材として選抜し、養成し、世に認知させる機会でもある。党首選挙は、政党と一般国民を結び付ける「縁」なのである。

