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【すごいぞ日本】論考編I 自信回復への指標(上) (1/2ページ)
■構造改革 失敗だったのか
構造改革という言葉が新聞紙上から消えつつある。最近では「改革疲れ」を指摘され、「格差助長を招いた」と批判も受けるなど、改革論者は以前の勢いと輝きを失っている。
確かに景気は一向に良くならない。すでに行政組織を去り、一企業人となった筆者にはその厳しさが身にしみる。特に地方や中小企業にとっては深刻だ。話が違うではないかと思う人も多いだろう。改革は「やり過ぎ」だったのだろうか。
構造改革については筆者も、金融とテレコムの分野でささやかながら政策形成に関与したことがある。1995年夏、スイスのジュネーブ。世界貿易機関(WTO)の金融サービス交渉で日本は孤立していた。
「宮家さん、これでは国内は収まりませんよ」
大蔵省(現財務省)の若い担当官に何度も叱責(しっせき)された。日本の金融当局は当時、市場開放に抵抗し、「東京市場に国際化は不要」などと嘯(うそぶ)いていた。
それでも、首席交渉官だった筆者は我を通した。自分がどの程度の役割を果たしたかは分からないが、大蔵省は結局、大幅自由化を受け入れ、翌年に金融ビッグバンが始まった。
翌96年の夏は基本電気通信サービス交渉だった。当時の郵政省は大蔵省より自由化に前向きだったので、日本は米国と組んでWTO交渉の主導権を握ることができた。欧州連合(EU)だけでなく、多くの途上国も自由化を受け入れた。
98年には大幅自由化が正式合意され、その後IT革命が始まった。
両交渉中に筆者を駆り立てたのは、中央官庁の不必要な規制による業界保護が結果的に業界全体の活力をそぎ、コストの上昇と国際競争力の低下を招いているという問題意識だった。それでも、規制緩和の現実は厳しい。淘汰(とうた)が始まり、多くの銀行、証券会社の名が消えた。
構造改革は小泉首相の専売特許ではない。80年代の中曽根改革に始まり、90年代の橋本構造改革、小渕政権での経済戦略会議、森政権での産業新生会議など脈々と受け継がれている。

