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政治
【酒井充の政界××話】やっぱり民主党政権の人災だ
今から7年前の春、今回の東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手・宮城両県の三陸沿岸を歩いた。明治から昭和初期の地震学の泰斗、今村恒明(明治3~昭和23年)の足跡を訪ねる連載の取材のためだった。
明治29年に38・2メートルの大津波を記録した岩手県大船渡市の綾里白浜地区(旧綾里村)も訪ねた。当時の村の人口の半数以上にあたる1350人が犠牲になった。37年後の昭和8年にも津波で200人近い村人が命を失った。
明治の津波後に現地を訪れた今村は絶句した。村人が沿岸の更地に再び家を建てていたからだ。
「津波が来たら逃げるしかない。最初から高台に住んでいれば、難を逃れられる確率は高くなる」
そう強く訴えた今村だが、漁には不便であり、当時は名の知れない若者の言葉に耳を傾ける人はほとんどいなかった。
昭和の津波後、地震や津波の権威として名声も高まっていた今村は再び現地に入った。子供の時に明治の津波で一家を失い、大人になった昭和の津波で再び新しい家族を失った人もいた。今村は再び村人に訴えた。
「もう君たちの代には、こんな大津波はないだろう。しかし子孫のためを考えるんだ」
高所移転はいよいよ本格化した。海岸の背後にある山を切り抜いて土地を造成し、住宅は高所に、漁のための納屋・物置は海岸近くにと助言した。三陸沿岸の高台には至る所に「此処(ここ)より下に家を建てるな」といった教訓の石碑が建立された。
78年後の今回の津波で綾里白浜地区の人的被害はなく、建物の被害もほとんどなかったという。
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