ニュース: 生活 RSS feed
【停車場ストーリー】JR外房線・東金線 大網駅 出征兵士の姿、記憶にとどめ (1/2ページ)
このニュースのトピックス:停車場ストーリー
明治29年(1896)1月に房総鉄道の駅として現在の千葉県大網白里町南玉に誕生、同40年9月に国鉄大網駅となった。往時は西隣の土気駅との間に1000メートル進んで25メートル登るという急勾配(こうばい)があり、運転士泣かせの“難所”として知られた。客車を牽引(けんいん)する機関車1両だけでは力が足りず、最後尾に別の機関車1両を補助用として連結したという。
千葉市と外房方面を結ぶ直通列車は大網駅で方向転換する必要があり、折り返して進行できるように軌道が設けられた「スイッチバック方式」も駅の特徴だった。駅近くで飲食店を営む君塚久江さん(65)は「小学生だった昭和20年代は『転車台』で方向転換する列車を眺めるのが楽しみでした」と懐かしむ。
しかし、スイッチバックを解消し、列車の運行をよりスムーズにするため、駅自体が昭和47年に現在の場所に移転。約500メートル北東に離れた旧駅跡地の通称「旧駅公園」を訪れてみると、「旗振りて 出征兵士見送りし 駅舎の跡に 子らの歓声」と刻まれた石碑が立っていた。大網白里町の島崎善久教育長(75)は「(太平洋戦争当時)何人もの青年が、地元の小学生や婦人会など数十人に送り出されていった駅の出征風景を今も思いだす」と話す。
駅周辺は米軍機による空襲の標的にもなり、当時を知る会社員、初芝文司さん(66)=同町金谷郷=は「防空壕の窓から見えた焼夷(しょうい)弾の明かりが印象に残っている」と振り返る。
昭和60年代以降は駅周辺の宅地開発が進み、街は千葉市や東京のベッドタウンとして変貌(へんぼう)を遂げ、駅も表情を変えた。








