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【ウェブ立志篇】’08北京 米ミューズ・アソシエイツ社長 梅田望夫

2008.8.23 03:50
このニュースのトピックス梅田望夫

 ■「言語」から見る世界

 日本の学生がシリコンバレーに私を訪ねてくることがある。そんなとき私は、近所のタイ料理屋に学生たちを連れていく。ベジタリアン・メニューが充実していることもあって、この店はいつも大繁盛している。話と食事に夢中になっている学生たちに、頃合(ころあ)いをみはからって私は、ちょっとまわりを見渡してごらんよ、と促す。

 彼ら彼女らは、一様にはっとする。こんなに色々な人種の人たちが混ざっている中で、日本人ばかりで話をしていたのかと。アメリカは「人種のるつぼ」いや「人種のサラダボウル」だといった話は、知識さえあれば誰にでもできる。しかし、ありとあらゆるテーブルが、オリンピックの選手村のような様相を呈する迫力は「百聞は一見に如(し)かず」、体で感じるのがいちばんなのである。

 スポーツのルールという形で普遍性が確立されて普及すれば、世界中の選手が自由に競争できる。日本の選手ばかりでなく、中国、韓国、ドイツ、イタリー、ルーマニア、アゼルバイジャン、グルジア、モンゴルの選手が、柔道の金メダルを獲得できるようになる。それと同じように、グローバル・テクノロジービジネスの世界も、技術という普遍性と英語さえ身につければ、世界中の誰もが参加できる。シリコンバレーのタイ料理屋の風景は、その象徴でもある。

 ところでここ1週間ほど、オリンピック中継を見ては、ある刺激的な論考を読み、その意味を考える日々を過ごしていた。その論考とは、「新潮」9月号に発表された水村美苗の「日本語が亡びるとき−−英語の世紀の中で」(280枚の長編評論)である。

 水村がこの論考で考え続けるのは、英語が「普遍語」(universal language)となってしまった現代から未来についてである。

 水村は「普遍語」とは「書き言葉」のことだと喝破する。そして「話し言葉」は日本語として残っても、「叡智(えいち)を求める人々」による「書き言葉」は、すべて「普遍語」たる英語になってしまう未来を想像し、警告するのである。

 『〈書き言葉〉による人類の叡智の蓄積は、たいがいの場合は、一つの〈書き言葉〉でなされたほうが論理に適(かな)う。どんな言葉で話していようと、地球に住むすべての人が一つの〈書き言葉〉で読み書きすれば、人類の叡智は、もっとも効率よく蓄積されるはずだからである。』

 4月の本欄で私は「英語圏と日本語圏とではネット空間の雰囲気がまったく違う」と指摘した。事実、水村の言う「〈書き言葉〉による人類の叡智の蓄積」は、英語圏ネット空間において、おそろしいスピードで進行している。「だからネットはけしからん」と言いたくもなる「知的に幼い日本語圏ネット空間」と比べ、知の圧倒的充実が進む英語圏ネット空間の在(あ)りようは、私たち日本人にとっての厳しい現実である。水村論考は、特にこれからの日本の若い世代が、母語である日本語と「普遍語」たる英語といかにつきあっていくべきかを考えるうえで必読だと思う。

 本紙読者の皆さんも、「国という単位」で世界を眺めるオリンピック観戦の興奮が冷めやらぬうちに、「言語という単位」で世界を眺める思考実験を試みられるとよいのではないだろうか。(うめだ もちお)

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