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【話の肖像画】「走り」続ける(1)君原健二さん
□メキシコ五輪マラソン銀メダリスト
■初の大目標「東京五輪」
《五輪の男女マラソンで3つの大会に代表選出された日本選手は過去5人。うち3大会とも出場、完走したのは2人だけ。入賞者が「6位まで」から「8位までに」なった1984年ロサンゼルス五輪以降の基準なら、君原さんは3大会連続入賞になる。縦軸を「実績」、横軸を「人生」とするグラフがあれば、実績を示す曲線がつくる面積が、この人ほど大きいランナーはいないだろう》
−−走るきっかけは?
君原 中2から走り始め、千五百メートルでインターハイ(高校総体)に出場できましたが予選落ちのレベル。五輪選手なんて夢にも思いませんでした。卒業式直前、長距離部門を強化することになった八幡製鉄から声がかかったのです。走ることなど、どうでもよかったのですが、就職先がなくて本当に困っていたので、お世話になってマラソンを始めました。
−−21歳のマラソン初挑戦で3位。当時の日本最高を51秒も上回りました
君原 常に手の届く小さな目標しか持てない気の弱い性格ですが、東京五輪が1年10カ月後に迫っていた。初めて大きな目標を持ちました。戦後19年。見事に復興した日本を世界中にアピールした大会に参加できたのは生涯の誇りです。
−−でも実力は十分に発揮できなかった
君原 自己記録に3分30秒も及ばなかった。世界で8番目、これが実力と私なりに納得したのですが、一方で五輪選手の立場、責任感が重く、声援も時にはプレッシャーとしか感じられなかった。いただいた栄光の素晴らしさには気づかず、あんなつらいことは二度と味わいたくないと思いました。
−−そしてブランク
君原 1年間、ほとんど競技にも参加せず勝手気ままな生活でした。一方、円谷(幸吉)さんは自己記録を2分上回っての銅メダル。ただ、国立競技場で2位のヒートリーに追い抜かれての銅。国民の面前で申し訳ない、次でまたメダルを獲得するんだと、引き続きマラソンに情熱を傾けていました。(高見修次)
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【プロフィル】君原健二
きみはら・けんじ 1941(昭和16)年、福岡県生まれ、67歳。高校卒業後、八幡製鉄(現・新日本製鉄)入社。五輪は64年東京(8位)、68年メキシコ(銀)、72年ミュンヘン(5位)と3大会連続出場。九州女子短大教授を経て北九州市教育委員。現役時代の35回を含め、通算52回のフルマラソンで一度も棄権したことがない“現役ランナー”だ。

