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【街物語(33)】「原爆の火」守り続けて… (1/3ページ)
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山本達雄=平成16年死去、享年88歳=の目に映ったのは、まさに地獄だった。
男女の区別もつかないほど黒く焼けこげた死体があった。皮膚が溶けてしまい、指先から垂れ下がっている人もいる。目の前には火の海が広がり、すすと血にまみれた人々のうめき声が聞こえた。「兵隊さん助けてください」。達雄は自分を頼る市民の手を振り払いながら、目指す陸軍司令部に向けて足を進めるしかなかった。
昭和20年8月6日午前8時15分。広島市内にあった司令部に汽車で向かっていた達雄は、突然の爆風で気を失った。原子爆弾の投下だ。
一瞬にして広島の街を灰燼(かいじん)に帰した原爆は、同時に多くの人の命を奪った。終戦後も軍務処理のため広島に留まった達雄は、遺体を焼き、川に流し続ける日々を送った。「死にたい」。治まることのない苦痛を訴える人の口を、静かにふさいだこともあった。
「『兵隊さん、この敵(かたき)は必ず取ってくれ』と言ってくる人もいたそうです。父が『分かった』というと、その人たちは安心して死んでいったそうです」。達雄の二男、拓道(たくどう)(58)はそう述懐する。
広島市内では達雄の叔父、弥助が書店を経営していた。9歳で実父を亡くした達雄にとっては父代わりだった弥助だが、原爆で行方不明になっていた。
9月半ば。復員命令が出たあとで弥助の“遺品”を探しに書店があった場所に向かった。すべてが灰と化していた中、地下室でまだ燃え続ける小さな炎があった。弥助の命を奪った原爆の残り火だったが、達雄には形見のように思えた。
持っていたカイロにその残り火を移し、故郷である福岡県星野村まで持ち帰った。原爆投下から63年。今もその火は静かに燃え続けている。






