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【街物語(33)】「原爆の火」守り続けて… (1/3ページ)

2008.8.3 07:22
このニュースのトピックス街物語
山本達雄さんが持ち帰った原爆の火はいまでも灯され続けている(福岡県星野村)山本達雄さんが持ち帰った原爆の火はいまでも灯され続けている(福岡県星野村)

 山本達雄=平成16年死去、享年88歳=の目に映ったのは、まさに地獄だった。

 男女の区別もつかないほど黒く焼けこげた死体があった。皮膚が溶けてしまい、指先から垂れ下がっている人もいる。目の前には火の海が広がり、すすと血にまみれた人々のうめき声が聞こえた。「兵隊さん助けてください」。達雄は自分を頼る市民の手を振り払いながら、目指す陸軍司令部に向けて足を進めるしかなかった。

 昭和20年8月6日午前8時15分。広島市内にあった司令部に汽車で向かっていた達雄は、突然の爆風で気を失った。原子爆弾の投下だ。

 一瞬にして広島の街を灰燼(かいじん)に帰した原爆は、同時に多くの人の命を奪った。終戦後も軍務処理のため広島に留まった達雄は、遺体を焼き、川に流し続ける日々を送った。「死にたい」。治まることのない苦痛を訴える人の口を、静かにふさいだこともあった。

 「『兵隊さん、この敵(かたき)は必ず取ってくれ』と言ってくる人もいたそうです。父が『分かった』というと、その人たちは安心して死んでいったそうです」。達雄の二男、拓道(たくどう)(58)はそう述懐する。

 広島市内では達雄の叔父、弥助が書店を経営していた。9歳で実父を亡くした達雄にとっては父代わりだった弥助だが、原爆で行方不明になっていた。

 9月半ば。復員命令が出たあとで弥助の“遺品”を探しに書店があった場所に向かった。すべてが灰と化していた中、地下室でまだ燃え続ける小さな炎があった。弥助の命を奪った原爆の残り火だったが、達雄には形見のように思えた。

 持っていたカイロにその残り火を移し、故郷である福岡県星野村まで持ち帰った。原爆投下から63年。今もその火は静かに燃え続けている。

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山本達雄さんが持ち帰った原爆の火はいまでも灯され続けている(福岡県星野村)
山本達雄さんが持ち帰った火は今でも力強く灯っている(福岡県星野村)
広島から山本達雄さんが持ち帰った原爆の火がある星野村は自然豊かな山間の村だ
山本達雄さんが持ち帰った原爆の火は平和の塔に移され、被爆者らを慰霊している(福岡県星野村)
原爆の火を広島から持ち帰った父、山本達雄さんについて書かれた記事を読む次男の拓道さん(福岡県星野村)
山本達雄さんについての著作を手にする中村学園大学の飼牛万里教授(福岡市の同大学内)
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