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【鉄道ファン必見】切符にサボに時刻表−閉館中の資料館所蔵品大公開! (2/3ページ)
なぜ藤尾さんが、この区間を選んだか、今となっては不明だそうだが、日本最低気温記録(氷点下41・2度、昭和53年)を持つ北海道幌加内町にあって、撮り鉄(写真系鉄道マニア)らに人気だった冬景色を思い浮かべたのだろうか。
謎のサボ
「豊岡●(矢印)奈古」とだけ書かれたシンプルな古いサボがある。サボとは列車に取り付けられる行き先案内板のことで、サイドボードの略称だ。
マルコメマークが打刻されているので国鉄・米子鉄道管理局(鳥取県)所属の列車用だったことがわかるが、こんな列車があったのだろうか。
豊岡とはもちろん藤尾さんのテリトリー、兵庫県豊岡市の山陰本線豊岡駅。奈古とは…、調べてみると山口県阿武町の山陰本線奈古駅しかない。
阿武町は、観光地として名高い萩市に三方を囲まれた、日本海沿いの町で現在の人口は4101人。古い国勢調査報告を見ても、昭和45年で7409人と小規模な町だ。
両駅間の距離は、現在の時刻表で計算すると約410キロとかなりのロングラン。しかもサボには特急や急行などを示す列車名もないので、各駅停車用ということか?
交通科学博物館資料室(大阪市)に問い合わせると「昭和50年代までの山陰線では珍しい距離ではありません」とのこと。
かつての列車運行の発想は、長距離の各停を、それぞれの地域を通過する時間帯に応じて利用してもらおうというものだったというのだ。
朝夕は通勤通学、昼間は買い物やおでかけ、深夜は急用といった具合で、京都発下関行きなどという列車もあったとか。
しかし謎はなぜ奈古なのか、という点だ。「例えば現在の新快速網干行きのように、姫路から先は利用者が少なくても、車両区がある網干(姫路市網干区)まではせっかく列車を動かすのだから運用する、といったやり方は昔からあったかも知れませんが」と言う。
現在の奈古駅は県立高校があるために通学利用者は多いようだが、国鉄時代、それもサボの状態から見てあまり最近ではなさそうな時代、車両基地があったようでもないし、何故発着駅に選ばれたのだろうか。





































