- [PR]
ライフ
【月刊正論】「古事記」は歌劇である
唐風文化を志向した大友皇子を倒した大海人皇子(天武天皇)が、天照大御神から自身に至るまで一筋に連なる皇統の正統性の証明とともに、和語と和歌の独自性の自覚とその継承を企図して編纂されたのが「古事記」である。そしてそれは原作=天武天皇、脚本・演出=稗田阿礼の「歌劇」として鑑賞すべきものであった。(月刊正論5月号)
作家の長部日出雄さんがこのほど、『歌劇「古事記」講義』を書き上げた(未出版)。この論考は「古事記論」と「古事記神代篇」の映画台本からなる。まず「古事記論」で長部さんは、(1)『古事記』は歌劇の台本として書かれた(2)稗田阿礼は女性である(3)原作者は天武天皇である――という三つの説を唱え、「十年後には定説になる」と言い切る。そして『古事記』は目で読むものではなく耳で聞くものであると信じる長部さんは、大胆にも自らの手で「神代篇」を映画台本化してみせた。いまなぜ『古事記』、そして天武天皇なのか? 長部さんに真意を聞いた。
唐風と国風の戦いだった壬申の乱
――壬申の乱から始めましょうか。左翼史観全盛の時代に編集された『角川第二版日本史辞典』を引くとこうあります。《672(天武1〈壬申の年〉)6月、天智天皇の子大友皇子と天皇の実弟大海人皇子のあいだの皇位継承権をめぐる約1か月に及ぶ内乱。吉野宮に隠棲していた大海人皇子は、天智天皇の死後、伊賀・伊勢を経て美濃にはいり、東国を押え、次いで別働隊は倭古京を占拠、近江勢多で大友皇子の軍を大破し、皇子を自害させ、翌年正月即位して天武天皇となった。以降、律令制的国家体制の導入によって、天皇への権力集中がはかられ、人民支配が強化された》。即物的で素っ気ない記述ですね。
関連ニュース
- [PR]
- [PR]