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【プレーバック談話室】(2)「死を免れ62年ぶりに卒業式」変わらぬ校訓に感激
その卒業式は大手前高等女学校の流れをくむ、大阪府立大手前高校(大阪市中央区)で10月12日に行われ、人生の年輪を重ねた約100人の卒業生が集まり、卒業証書が手渡された。もちろん、そこには阿部さんの姿も。
卒業式が中止となった昭和20年は、女学生も軍需工場に動員され、卒業式どころか授業もほとんどできない状態。しかし、女学生たちは明るかった。阿部さんは「私は十数人の仲間とともに落下傘に使うひもを編む担当。一人でいくつできるか、みんなで競争したりもしました。勉強の時間はなくても、友だち同士で本を貸し借りして、電車の中で読んでいました」と懐かしそうに語る。
阿部さんが同校を訪れたのは、62年ぶり。本館校舎は戦後に建てられたものだが、当時の校舎は今も別館として使われ、運動場の一角のフジ棚もそのままあった。
何よりうれしかったのは「知・徳・体」という校訓が、いまも教育方針として掲げられていたこと。「在校生のみなさんも礼儀正しく、学校の伝統がきちんと受け継がれていることを知り、うれしく思いました」。
また、「再会した同級生はみんな、互いに名乗らないとわからないほど顔が変わっていましたが、当時の話をしているうちに、気持ちも若返ってきました」と話す一方、「こんな体験は私たちだけで十分。いつまでも平和な世であってほしい」と願っていた。
■ぜひ、出席したい
(主婦、阿部シマ=79)
終戦前、大阪にある高等女学校の学生だった私は学校ではなく、軍需工場に通っていました。
工場に通う電車の中で本を読み、工場では落下傘をつくっていました。授業が時折ありましたが、修学旅行は中止。5年生だった昭和20年の卒業式も行われず、4年生も同時に卒業するという措置がとられました。戦地で苦労している兵隊さんのことを思い、「私たちも頑張らねば」と何の不満はありませんでした。
20年6月、実家周辺に焼夷(しようい)弾が投下され、一帯が丸焼けとなりました。数日後、焼け跡の整理に行きましたが、爆撃は続いており命がけでした。
一度は、避難していた防空壕(ごう)近くに爆弾が落ちました。爆風で壕を覆っていた大きな鉄板が空に舞い上がり、そのまま落ちてきます。「もう駄目だ」と思った瞬間、鉄板の角が地面にひっかかり、直撃を免れることができました。
そうして今まで生きてこられ、先日、女学校の卒業式を62年ぶりに挙行するとの連絡が届きました。私も、ぜひ出席したいと思っています。
(大阪府和泉市=8月12日掲載)

