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【土・日曜日に書く】論説委員・石川水穂 「沖縄」で問われる新聞の責任
≪昭和57年にも問題視≫
沖縄戦集団自決に関する教科書記述が検定を受けた問題で、教科書会社が検定前の記述に戻す方向での訂正申請を始めた。これに対し、渡海紀三朗文部科学相は「真摯(しんし)に対応したい」と前向きに受け止める意向だ。
しかし、検定後の訂正申請は教科書検定規則第13条で認められているものの、その範囲は誤記・誤植などに限られ、検定意見にかかわる訂正は許されていない。将来に禍根を残さないよう、慎重な対応が求められる。
沖縄戦の記述が初めて問題とされたのは、「侵略→進出」の誤報で揺れた昭和57(1982)年である。高校日本史の教科書で、日本軍による住民虐殺の記述が検定で削除され、沖縄県で抗議行動が起きた。当時の小川平二文相は同年9月の参院決算委員会で、「次の検定の機会に県民の気持ちに配慮したい」と答えた。
11月には、近隣諸国への配慮を求める「近隣諸国条項」が検定基準に追加された。主に問題とされたのは中国・韓国関係の記述だったが、沖縄関係についても、9月の小川文相答弁を受け、「日本軍による沖縄住民の殺害について、原因や背景を正確に表現している記述には検定意見を付さない」とする検定方針が示された。
同時に、「正誤訂正には応じない」とする小川文相の談話も発表された。当時は、「正誤訂正」という用語が一般的だった。
沖縄県民の気持ちに十分配慮しつつ、記述には正確性を期す。この旧文部省の方針は現在も引き継がれているはずだ。
今回の検定は、集団自決が日本軍によって強制されたとする記述に対して付された。現時点では、軍の強制を裏付ける証拠は見つかっておらず、不正確な記述に検定意見が付くのは当然である。小川文相談話を踏襲し、訂正申請にも軽々に応じるべきではない。
≪「軍命令」説はほぼ否定≫
そもそも、この問題の発端は沖縄県の地元紙、沖縄タイムスが昭和25(1950)年に発刊した沖縄戦記「鉄の暴風」の次のような記述である。
「思い掛けぬ自決命令が赤松からもたらされた」「手榴弾(しゅりゅうだん)は、あちこちで爆発した。轟然(ごうぜん)たる不気味な響音は、次々と谷間に、こだました。瞬時にして、−−男、女、老人、子供、嬰児(えいじ)−−の肉四散し、阿修羅(あしゅら)の如(ごと)き、阿鼻叫喚の光景が、くりひろげられた」
「赤松」は、渡嘉敷島の守備隊長、赤松嘉次大尉のことだ。
また、梅沢裕少佐が守備隊長をしていた座間味島の集団自決について、「米軍上陸の前日、軍は忠魂碑前の広場に住民をあつめ、玉砕を命じた」と書いた。
「鉄の暴風」は、本土では朝日新聞社から出版された。この本に書かれた「軍命令」説は、大江健三郎氏の「沖縄ノート」や家永三郎氏の「太平洋戦争」などに引用され、今も独り歩きしている。
だが、渡嘉敷島の集団自決については、作家の曽野綾子氏が昭和40年代に独自に同島を取材した結果をまとめた「ある神話の背景」で、赤松大尉の命令がなかったことがほぼ裏付けられた。それでも、曽野氏は「軍命令がなかった」とは断定しなかった。
軍命令の有無は家永氏が起こした第三次教科書訴訟でも争点となり、国側証人として出廷した曽野氏はこう証言している。
「作家的想像と笑われるかもしれないが、あるとき、どっかの洞窟(どうくつ)の中から、それ(軍命令)を暗示するものが出てくるかも分からない。しかし、赤松隊長が自分の口で『自決命令を出せ』と言ったという人は一人もいない」
最近、沖縄県の元援護担当者が「軍命令は創作だった」と自由主義史観研究会や産経新聞に証言した。これは、軍命令説を覆す決定的な証言といえる。
座間味島の集団自決についても、元女子青年団員が「梅沢少佐の命令はなかった」と告白し、この事実は神戸新聞が昭和60年代に3度にわたって報じた。
≪朝日が社説の誤報訂正≫
朝日新聞は今年9月30日付社説「検定意見の撤回を急げ」で、「84歳の上洲幸子さんの証言は『もしアメリカ軍に見つかったら、舌をかみ切ってでも死になさい』と日本軍の隊長から言われた、というものだ」「こうした生々しい体験を文科省はどう否定できるというのか」と書いた。
沖縄県議会議員団の調査を報じた沖縄タイムス7月7日付記事にも同じ証言が載っているが、同紙は7月下旬に「隊長」ではなく「中尉」だったとする訂正記事を出していた。朝日も、10月3日付社説の中で訂正した。
両紙に誤報を訂正する良心があるのなら、57年前の記述についても、きちんと検証すべきである。(いしかわ みずほ)