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【追悼・赤塚不二夫さん】アニメーション作家・漫画家 鈴木伸一

2008.8.9 08:27
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数々の人気キャラクターを生み出した=昭和57年数々の人気キャラクターを生み出した=昭和57年

 ■笑いの底に人間味

 トキワ荘で赤塚不二夫さんと初めて会ったのは、昭和31年の夏だった。寺田ヒロオ、藤子不二雄(当時の藤子・F・不二雄、藤子不二雄(A)の共同ペンネーム)、つのだじろう、私などのグループ「新漫画党」に加入し、初会合のときだった。当時、赤塚さんは石ノ森章太郎さんの「東日本漫画研究会」にも入っていて行動を共にしていることが多く、この時も二人一緒。エネルギッシュなニキビ面の石ノ森さんに比べ、赤塚さんはいつもその後ろに従っている色白のおとなしい美青年だった。

 雑誌に連載したいという思いでトキワ荘に入ったのだが、赤塚さんはなかなかチャンスに恵まれなかった。貸本屋向きの悲しい少女漫画などを描きながら、売れっ子の石ノ森さんの手伝いをしたり、食事の用意をしたり。アシスタントのようなことをしながら約2年後にやっと芽を出す。その初の月刊誌連載「ナマちゃん」で自分の道を見つけたあとは、次々に短編を描き、行き着いた先が名作「おそ松くん」だった。

 4回連載の依頼だったそうだが、それで終わるのなら思い切ったものをやろうと、心に決めたという。六つ子が主役の設定だったが、チビ太、イヤミ、デカパン、ハタ坊、ダヨーンのおじさんなどのユニークな脇役、「シェー!」や「ホエホエ…」などの流行語にまでなった漫画的な言葉の使い方など、なんでも総動員してまさに体ごとぶつかった作品だった。それにテンポの良さ。これが時代にぴったりはまり、読者の共感を得て5年もの長期連載となった。「おそ松くん」が、これまでの軽いユーモア漫画を、本当の爆笑漫画に変えたことは特筆に値するだろう。

 赤塚さんは大の映画ファンで、特に黒澤明監督が好きだった。黒澤映画の脚本が複数の脚本家との共同作業で練られたように、複数のスタッフによるアイデアの出し合いから始まり、最後にまとめる形をとっていた。余談だが、「もーれつア太郎」のカエルのキャラクター「べし」の名称は、黒澤監督の「七人の侍」に出てくる長老の口癖にヒントを得たもの。自身の愛猫にも、三船敏郎演じる登場人物から取って「菊千代」と名付けたほどだった。

 次の大ヒット作「天才バカボン」では、ナンセンス度はますます高まり、主役のバカボンより「これでいいのだ!」の決まり文句のバカボンパパのバカぶりに読者は腹を抱えることになる。パパの言葉に大笑いしながら妙に納得したり。人間への愛やペーソスさえ感じる作品だった。O・ヘンリーやチャップリンが大好きだったから、笑いの底に人間味が隠し味として利いていたのだろう。

 「もーれつア太郎」などのヒット作が続き、ニャロメなど超ナンセンスなキャラクターを生んでいった。赤塚さんの漫画には、ナンセンスの中に社会風刺性が潜んでいることを見逃してはならない。

 カラッとした笑いは社会を明るくしてくれる。面白い漫画やキャラクターが時代を示すランドマークになる社会現象にまでなっていく状況を、赤塚さんは示してくれた。その一連の作品を越えるものを描くのは容易なことではないが、若い漫画家には、この巨大な壁に挑戦してほしいものだ。赤塚さんもそれを望んでいるに違いない。

 謹んで赤塚さんのご冥福(めいふく)を祈りたい。合掌。

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