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【赤塚不二夫氏追悼対談】「本人自体がギャグ」「強烈なシュール体験」 (1/5ページ)
日本のギャグを作った人−。「おそ松くん」や「天才バカボン」など数多くのギャグ漫画を生み出した赤塚不二夫さん(2日死去)が、サブカルチャーに与えた影響は大きい。あまりに大きすぎて見えにくい。コラムニストの泉麻人さんとイラストレーターのみうらじゅんさんに、その作品の偉大さを振り返ってもらった。
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■作品との出会い
みうら「僕は小学校のはじめごろかな。『おそ松くん』を読み始めた」
泉「うちは鉄腕アトムと鉄人28号が載ってる月刊の『少年』(※1)をとってたから最初に読んだ赤塚漫画は『まかせて長太』。漫画は1誌と決められていた。小学校2年生のとき、遊びに行った友達の家に『少年サンデー』があって、そこで一気に『おそ松くん』を読みましたね」
みうら「いたよねえ、人の家で何にもしゃべらずに漫画読んでるやつ。うちは一人っ子だから3誌とってて、友達が来てすごく嫌だった記憶がある(笑)」
泉「近所に貸本屋がなかったんです(笑)。友達の家のあとは散髪屋でしたね。待合室に必ず置いてあるから」
みうら「確かに、赤塚さんの漫画って散髪屋の匂(にお)いがする。読みたくってね…いやな髪形にされても」
泉「あえて待たされたい感じ(笑)。いま思えば、『おそ松くん』には、あのころの時代の、大人も子供も変人もうまく共生している感じが出ていませんか」
みうら「〇〇とか××とかいまじゃ活字にできない差別的な表現も多かったけど。差別を差別していなかった。『おそ松くん』には、もう土管が出てきましたっけ?」
泉「土管と原っぱ…高度成長期の象徴ですね。『おそ松くん』を描き始めたころ、赤塚さんは僕の近所の家に下宿してたんですよ。だからあの原っぱがモデルなんだ、と親近感がわきました」
みうら「そうなんだ。確かに東京の感じはした」
泉「東京の山の手と下町のはざまみたいな場所です。『おそ松くん』の背景って結構洋風の家も出てくる」



