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【話の肖像画】東西とーざい(4)演劇研究家・河竹登志夫さん
■物理と歌舞伎には共通点
−−平成5年に出された本『黙阿弥(もくあみ)』の、あとがきで、「曾祖父への訣別(けつべつ)…」と書いています
河竹 それは、家を継いだものとしての義理は私なりに果たした、という意味です。この本では、黙阿弥の最終的な評価を書いたつもりです。たとえば近代に入り、演劇改良運動が始まる中で、江戸歌舞伎の作者、黙阿弥は「古い」と言われ疎外されていく。そこで黙阿弥がどう思っていたかは、ほとんど知られていなかったのです。
(新七から)「黙阿弥」への改名についても、表面は引退だが、実は違う。逆に作者に復活する意思を持っていたからこそ、「元のもくあみ」とかけたのです。明治20年に行われた天覧劇の、官憲による「勧進帳」の改悪への批判を匿名で書いたのも黙阿弥でした。江戸の作者としてのプライドをはっきり持っていたのですね。この「二つの事実」を実証したことで、黙阿弥家への義理は果たしたという意味です。
−−ところで、大学も最初は物理学科(東京帝国大学)でしたね。これは「作者の家」への反発でしたか
河竹 いや、そんなことではなくて、芝居は身近すぎて研究の対象にはならなかっただけです。おやじ(繁俊氏)は「好きなことをやれ」と言いましたしね。
ただ、今思えば物理と歌舞伎には共通点があった、両方とも「様式美」があるという。物理の数式はきれいで、美しい。そんなところから物理の世界にひかれたのかもしれません。でも戦後の1、2年、小劇場の芝居や映画に反動的におぼれるうち、結局、早稲田の演劇科に入り直すんですがね(苦笑)。
−−そのころに、カストリやバクダンの安酒をあおっていた話や立ち食いすしの屋台の話などはとても面白い
河竹 懐かしいですね。カストリなんて若い人は知らないでしょう。立ち食いすしの屋台では、米でなくおからのすしも食べた。
−−エッセーなどを拝見していると“江戸っ子の粋”を感じます。最近は「江戸ブーム」ですよね
河竹 おやじは信州人ですが、おふくろは日本橋だから、言葉は、そっちの方かもしれない。確かにそんなイメージがあるようですが、まあ過剰評価ですよ。だいたい、江戸ブームなどと、ことさら言い立てることが「粋」じゃない(苦笑)。自然にそうなるのはいいけどね。(喜多由浩)
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【プロフィル】河竹登志夫
かわたけ・としお 大正13年、東京生まれ。早稲田大学教授、日本演劇学会会長などを歴任。文化功労者。江戸歌舞伎作者、河竹黙阿弥の曾孫。