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【わが道わが友】日本郵船会長 草刈隆郎氏(4)
■ラグビーでチームプレーの大切さ学ぶ
父親は銀行員で転勤が多かったが、自分が卒業した名門の“一中”(現都立日比谷高校)に私を入れたいとの思いが強く、名古屋勤務のとき、私と母親を受験勉強のため東京に送り出した。そのかいあってか、何とか潜り込んだ日比谷高校では生涯の財産といえるラグビーに出合った。
当時のラグビー部は素人集団もいいところ。チーム編成に必要な15人がそろわず、忘れもしない学習院のグラウンドで、いきなりボロボロのジャージーを渡されてゲームに引っ張り出された。何も分からず、とんでもない目にあったが、何だか面白い。続けているうちに、その魅力にのめり込んだ。
日比谷は、自由闊達(かったつ)な校風が有名で、ラグビー部は良くも悪くもその最たるものだった。コーチも監督もいない。優秀なやつが本場の英国から教本の原書を取り寄せて翻訳し、それを実践しながら、練習方法や戦術もすべて自分たちで編み出した。それでも2年生の後半には、東京都のベスト4に進出するまでに強くなった。われわれは当時全盛の保善高校に敗れたが、その翌々年、後輩の町村信孝君(現官房長官)が1年生の時に、花園への出場も果たした。
「ワンフォーオール・オールフォーワン」(1人はみんなのために・みんなは1人のために)。このラグビーの精神は企業にも共通する。強い組織をつくり、チームワークで難関に挑み、力を高めていく。それが企業業績を上げていくうえでも鍵になる。日比谷のラグビー部はまさに、こうした組織づくりやチームプレーの大切さを学んだ私の原点だ。東大ラグビー部出身で東芝会長の岡村正さん、慶大で一流プレーヤーだった横河電機元社長の美川英二さん(故人)など、実業界で活躍するラガーメンが多いのも偶然ではないだろう。
一緒に痛い思いをしながら、つらくしんどい時間をともに過ごした仲間たちとのきずなは強い。いまもラグビー部のOBたちとは、定期の親睦(しんぼく)会が続いている。とくにスクラムハーフの金子明博君(前国立がんセンター中央病院眼科医長)ら当時のチームメートとは、日比谷OBクラブの「シニア会」と称して飲んだり、ゴルフをしたりするなど、小人数で年3回程度は集まっている。政府の規制改革会議議長の私に対し、「医療現場は大変なんだ。待遇実態が分かっているのか」と、金子君が厳しく指摘したりもするが、気兼ねなく何でも言い合える仲間との時間は実に楽しい。
50代のころ、子供の体を鍛えようと一緒に近隣の武蔵野市のラグビースクールに入った。受験で自分の子供はやめたのに、ミイラ取りがミイラとなり、私は子供たちにラグビーを教える楽しさにはまった。当時は子供や父母たちとの交流が、多忙な仕事の合間の貴重な気分転換になった。

