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【わが道わが友】日本郵船会長・草刈隆郎氏(3)規格外の発想で挑戦的な仕事

2008.8.28 03:07
このニュースのトピックス郵便・運輸
日本船主協会の賀詞交換会で、生田正治・商船三井相談役(右)と談笑する草刈氏=平成19年1月、東京・平河町の海運ビル(日本船主協会提供)日本船主協会の賀詞交換会で、生田正治・商船三井相談役(右)と談笑する草刈氏=平成19年1月、東京・平河町の海運ビル(日本船主協会提供)

 仕事で一番活躍できるのは課長のときだと思う。それ以前だと権限がないし、そこから上はどうしても間接的な管理が中心になってしまう。課長なら上役に掛け合い、自分の権限で挑戦的な仕事もできる。私が「ちょっとは、面白いことができた」と自負できるのも、中東・地中海向け航路を担当していた昭和60年前後の欧州2課長時代だ。

 日本郵船は伝統的に中東航路に強く、国内の船会社の中ではほとんど独壇場だった。ただ当時は第2次石油ショックの後で、中東航路は原油高で潤っていた状況から一転、景気の落ち込みから荷動きがパタッと止まってしまった。月に15隻出していた配船数が7、8隻に減り、ついには3分の1の5隻にまで激減。合理化が緊急課題になった。そこで、ライバルの商船三井との提携を思いつき、親交のあった先方の課長に「お互い、こんなにしょぼくれた状況になって、ばかばかしいから競争をやめて一緒にやらないか」と呼びかけた。

 昔から犬猿の仲とみられている両社の協業には、双方の社内に反発の声もあったようだ。だが、日本郵船の元副社長で当時の上司の部長だった高橋宏さん(現首都大学東京理事長)も、先方の部長も「おまえらに任せるからやってみろ」と、われわれの提案を面白がった。先方の部長というのは、後に商船三井の社長、会長、そして日本郵政公社の初代総裁を務められた生田正治さん(現商船三井相談役)だ。

 後にも先にも、郵船と商船三井の2社間の航路統合は、この時に設立した共同運航事務所「コンコルド・エクスプレス・ライナーズ・マネジメントセンター」だけだ。規格外の発想に面白がって挑戦する、われわれ課長2人と高橋さん、生田さんの4人の顔ぶれだったからこそ実現できたのだろう。

 共同事業のスタート後も、生田さんは、東京・神田末広町のペンシルビルに開いたコンコルドの事務所にふらっとやってきては、「好きなやつを連れてこい。昼飯を食おう」と私を誘ってくれた。事務所には、商船三井から来たスタッフもいるが、そこには行かず、決まって私のところに来られる。そこが生田さんのすごいところだ。私が日本船主協会の会長を務めた際も、その後も、生田さんには先輩・後輩の間柄としてかわいがっていただいている。

 キャリアの中で、逆に残念に思うのは、普通なら2、3回経験するはずの海外赴任が48年から52年までのロンドン駐在1回だけだったことだ。当時の海外駐在は、会社負担で公私に見聞を広げることができる貴重な“長期有給休暇”ともいえた。いまも海外出張の帰りには、必ず「モルトウイスキー」を買うほど、ロンドン時代は楽しかった。それだけに、せめてあと1回は“休暇”をとりたかった。

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日本船主協会の賀詞交換会で、生田正治・商船三井相談役(右)と談笑する草刈氏=平成19年1月、東京・平河町の海運ビル(日本船主協会提供)

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