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【ウェブ立志篇】米ミューズ・アソシエイツ社長 梅田望夫

2008.6.23 03:29
このニュースのトピックス囲碁・将棋

 ■量が質に転化する瞬間

 産経新聞社主催の将棋タイトル戦「棋聖戦」の特別観戦記者として私は日本に行き、数日前にシリコンバレーに戻った。いまだその興奮が冷めやらぬまま、本稿を書いている。

 将棋界最高峰の2つの頭脳、棋聖・佐藤康光(38)と挑戦者・羽生善治(37)の対決の現場に居合わせて私が見たのは、知が生まれる瞬間の厳粛さであった。トップ棋士とは、最先端の難問に取り組む研究者のような人々なのだ、ということも肌で理解した。そして、将棋の世界に深く確かに継承されている日本文化の素晴らしさを再発見できた。これらのことは、日本を離れて14年になる私のこれからにとても大きな影響を及ぼすのではないか、という予感に満ちていた。その詳細な報告は、「孤独な営為に深い感動」(一昨日の本紙文化面)をぜひご一読いただきたい。

 ところで私の専門は「ウェブ進化や情報爆発が引き起こす社会変化」の研究である。羽生はあるとき、現代将棋の世界で起きている事象を凝視することが私の研究にとって重要だと教えてくれた。「ITとネットの進化によって将棋の世界に起きた最大の変化は、将棋が強くなるための高速道路が一気に敷かれたことです。でも高速道路を走り抜けた先では大渋滞が起きています」

 私は、羽生が発したこの「高速道路論」の意味を考えながら「ウェブ進化論」「ウェブ時代をゆく」(共にちくま新書)を著したのだが、羽生は今さらにその先を疾走し、たとえば何気なくこんなことをつぶやくのだ。

 「いまは知識の雪だるまを作ってるような段階です。どんどん蓄積して、どんどん分析することで、雪だるまが急激に大きくなっている。転がり続けていますから。でもその雪だるまって、どこまで育つかまだ分からないんですよ。そのデータベースがかなりの量を網羅していったときに、ひょっとすると相乗的な効果が生まれてくるかもしれませんよね。誰も予想してなかったイノベーションが起こったり」(「歩を『と金』に変える人材活用術」、共著、日本経済新聞出版社)

 この文章は、グーグルの創業者が語った英語をやさしい日本語に翻訳したものだ、と言っても誰も疑うまい。なぜなら、羽生は将棋の世界の情報について、グーグルは世界中のすべての情報について同じことを目指しているからだ。同じこととは、「量が質に転化する瞬間があるはず」という仮説の検証である。羽生は、高速道路の先の大渋滞を抜けることと「量が質に転化する」ことは深くかかわってくるはずだと、最近いつも私に言う。そして、この仮説をめぐる何らかの事象は、社会が変化するよりも先に、限定的空間である将棋の世界でピュアな形で発現するに違いない。羽生はそんなことを考えながら、厳しい勝負の日常を生きているのである。

 羽生は17日に名人位を奪取し、十九世名人(永世名人)の称号を獲得。前人未到の「永世7冠」も射程に入った。ある時代に登場するリーダーの特質は、その時代の性格を映すものだ。天才的研究者の資質と、未来の洞察に優れたビジョナリー能力を兼ね備えた、羽生善治という稀有(けう)な日本人が、他の世界にではなく将棋界に現れたことは、情報化社会たる現代という時代を象徴しているといえるのだ。(うめだ もちお)

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