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【青雲の大和】(315)二つの祖国 (1/2ページ)
「どうやらおれは、玄理(げんり)のお守り役で選ばれたようだな」
船が難波(なにわ)の港をでると、薬師(くすし)の恵日(えにち)が近づいてきていった。
「なにをいうか、そんなことではない」
港の高台で見送ってくれている人々の列に眼をやりながら、玄理(くろまろ)は恵日の笑みをふくんだことばにまともに応じた。
恵日は聖徳太子によって選ばれた玄理ら八人が、留学生として隋(ずい)にわたったあとを追って、医学、薬学を修めるため送られてきた男で、長安で十年余り、ともに勉学にはげんだ同僚である。
成績優秀な恵日は、聖徳太子が亡くなった翌年にまっさきによびもどされたが、そのごは薬師としてだけでなく、若手の外交官としても活躍し、犬上御田鍬(いぬかみのみたすき)がはじめての遣唐使となって長安にやってきたときは、恵日は副使として従ってきている。遣唐副使の役は、こんどで二度目なのである。
「いや、玄理は知らんのだよ、おれがおぬしの下の副使に任じられたわけを」
「どういうことだ、いってみろ」
皆のまえでは、玄理は全使節団を統べる立場の押使(おうし)としての話し方をしているが、二人だけのときは元留学生の仲間うちのことばにもどしている。
「このまえ、おぬし、飛鳥の河辺(かわら)の宮で倒れたろう。あの直後だぜ、おれが使節団に加わることになったのは」
たしかに副使のほかは皆、そのまえから決まっていた。副使については、玄理が急病で倒れ、しばらく休んでいたあいだに、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と鎌足(かまたり)のあいだで人選がおこなわれたのである。
「中大兄はわざわざ河辺の宮におれをよび、こういわれた。くれぐれも玄理師(げんりし)をおねがいすると。その席には、鎌足どのもひかえていたぞ」
はじめてきく話だった。そういうことであったのかと、玄理は思った。
恵日はもう二十四年もまえに、遣唐副使の役をはたした男である。その者をなぜ、いままた副使として、玄理の下につけなければならないのかという疑問は、これで氷解する。