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【青雲の大和】(313)二つの祖国 (1/2ページ)
玄理(くろまろ)には、もうひとり生涯の恩人がいる。玄理の学才をみとめ、留学生にえらんでくださった斑鳩(いかるが)の太子である。
高向(たかむこ)の里からの帰り、その恩を謝するため太子の御陵に詣(もう)でることにした。大和を代表する勅使として、ふたたび長安におもむくことになった報告をかねたつもりである。
「仰(おお)せの斑鳩の太子とは、あの聖徳法王(しょうとくほうおう)のことでございましょう」
早朝の川沿いの道を馬でついてくる田辺鳥(たなべのとり)が、のんびりとした口調できいてきた。
「そう、これから太子の御陵にお参りする」
「どこにあるのですか、御陵は」
太子が薨(こう)じて三十年あまり、世代がちがう田辺には、関心があるのは太子が建てられた斑鳩の法隆寺ぐらいのものである。
「この石川(いしかわ)をくだって、しばらく行くと、東から流れこんでくる川がある。それをさかのぼったところが太子の御陵だ。昼まえには着くだろう」
「おくわしいですね、よく行かれるのですか」
なんとなく軽薄なその問いに、玄理は黙して答えなかった。
太子の偉大さが、もうこの世代にはわからなくなっているのである。
玄理、日文(にちもん)が国博士(くにはかせ)となって、国家改新の大業を指導したのは、じつに太子が成されようとしたことを継承したものであった。少なくとも玄理は、そのように理解している。
「太子が定められた十七条の憲法は、おぼえているか」
「はあ、まあ第一条と、あと八条でしたか、わたしども官人の心得を説かれたところがありましたね。群卿百寮(ぐんけいひゃくりょう)は早く出勤して遅く退(ひ)けとか、そのあたりだけです、おぼえているのは」
田辺はちょっと当惑気味に答えた。
「じつをいうと大化改新と、それにつづく数々の詔(みこと)のりは、すべてあの十七条の憲法のもとに定められるべき法規なのだ、わかるか。漢語でいえば、まず憲法があって、その下に令(れい)と律(りつ)がある。われわれがめざしたのは、それだ」