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【青雲の大和】(309)二つの祖国 (1/2ページ)

2008.9.4 03:36
このニュースのトピックス青雲の大和

 押使(おうし)とは、玄理(くろまろ)のためにつくられたような外交上の役職だった。

 大化改新を指導してきた国博士(くにはかせ)の玄理が、ようやく伸びてきた大和の国力を背景に大国唐にわたり、皇帝に直接会って両国の友誼(ゆうぎ)を深めようというのである。これまでの大使の肩書きでは役不足であると、内臣(ないしん)の鎌足(かまたり)が考えたのはもっともだった。

 日文(にちもん)が死をまえにして提言したことのなかに、この押使の名称があり、鎌足がそれを採用したのだが、玄理自身はむろん、そのようなことにこだわっていない。

「それで、こんどもながいのか」

 長兄、漢麻呂(あやまろ)は気づかわしげにきいた。このまえは隋(ずい)、唐での留学がじつに三十年におよんでいる。

「いや、大和を代表する使者ということで、ながくて二年でしょうが、ただ、こんどは覚悟がありまして……」

 玄理があと言いよどむと、兄は心得たふうに、

「まあまあ、話は奥でゆっくりときこう。なにももてなしはできないが、田辺(たなべ)どのもどうぞ、つきあってやってくだされ」

 そういって母屋の広間に招じ入れた。

 いまや郷土の賢人偉人といわれ、大君にも直言できる立場にある国博士をひとめ見たさにあつまってきた里の者は、門から母屋の庭先にまわり、地面にひざまずいて皆、神妙に床うえを仰ぎみている。

 玄理にしてみれば、むろん故郷に錦をかざるといった気はない。唐への出発をまえに、わざわざここ高向(たかむこ)の里に足をはこんだのは、玄理を世にだすためにおのれを無にして育ててくれた大恩ある長兄に、ひとこと礼をいっておきたいという思いからだった。

 河内(かわち)の片田舎の貧乏氏族とはいえ、古くから知識を売りものに朝廷に仕えてきた帰化系の一族である。長兄も出世の手づるをつかんで都にでていくことはできたはずであり、その能力もあるひとだった。しかし、父をはやく失ったあと、みずからの望みを捨て、田畑を耕し機(はた)を織り、泥まみれになって働いて、一家の生活を支えてくれたのである。

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