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【青雲の大和】(306)出で立つ日 (1/2ページ)
夜、自邸に帰ると、母屋の玄関に与志古(よしこ)が灯(ひ)をもって立っていた。
「遣使船が沈んだとききましたけど……」
全部をいわず、不安げに鎌足(かまたり)の眼をみつめている。
「うむ、そういう知らせがあったが、まだわからない」
母屋の奥の居室へむかいながら、鎌足はいった。
「どちらの船ですか、沈んだのは」
北まわりか、南まわりか、というのである。北まわりの船には、真人(まひと)が乗っている。
「それも、まだわからない」
「隠していらっしゃるのではないでしょうね、わたしどものために」
国家のあらゆる情報をつかんでいる内臣(ないしん)が、沈没したのがどちらの船か知らないはずがない、という妻の顔である。
まだ十一歳の真人を学問僧の一人として、唐に派遣するという重大事すら、鎌足はぎりぎりの段階まで与志古に話さなかった。すべてにおいて国事を優先させてきた鎌足を、与志古はひそかにうらんでいるのかもしれない。
「助かった者が一人、いまこちらへむかっている。この者が着けばはっきりするが、真人はまあ、だいじょうぶだと思う」
「どちらの船が沈んだのか、わからないのでしょう。どうして、そういえるのですか」
灯火にゆれる与志古の瞳には、すがるような色がある。
「北まわりの船が沈んだことは、これまでのところ一度もない。薬師(くすし)の恵日(えにち)など、もう四回も行き来しているのだからね」
とはいえ、心配なことはあった。唐は山東(さんとう)半島の港に数百艘の兵船を集結させているといわれている。高句麗(こうくり)を征する野望を唐は捨てていないのである。
もし真人の乗った北まわりの船が高句麗沖にさしかかったとき、唐の水軍が大挙出動して戦闘をひらいたとしたら、戦いにまきこまれ、海中に没するということがないとはいえない。
第二船を南まわりでだしたのは、それを恐れてのことだったが、現実にそのような事態となれば、内外政の要(かなめ)にいる鎌足としては、わが子のことのみを案じてはいられないのである。