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【青雲の大和】(304)出で立つ日 (1/2ページ)
鎌足(かまたり)は師の枕元で手を床(ゆか)につき、痩(や)せ衰えた尊顔に瞳を注ぎつつ、師のことばを拝聴する姿勢をとった。
そうしていると、飛鳥の学堂でただひとり師の部屋によばれ、教えをうけた二十年まえのことが胸によみがえってくる。
部屋によぶとき、旻(みん)師は多くの学友がいるなかで鎌足に対してだけ、眼をぱちぱちと瞬(しばたた)いて合図をされた。ひとがきけば、まさかと思うであろう。蘇我(そが)をふくめ、すべての臣民の尊敬をあつめる旻師である。そのかたが、まるで小娘のように眼で合図をされるのである。
しかし、自分だけに示していただけるその合図が、鎌足にはどんなにうれしく誇らしく、勉学へのはげみになったことか。
この師あってこそ、いま国家改新の大業に邁進(まいしん)できる自分がある、と思うのである。
「まず玄理(げんり)に頼みたい。もう一度、唐へ行ってくれぬか」
宙に瞳をむけたまま、旻師はつぶやくように話しだした。病苦によどんだ眼は、もうなにもみえていないのかもしれなかったが、意識はふだんの師とかわらず、はっきりしているようである。
「で、どうせよと」
残る時間を惜しんでか、玄理師のことばはひどく短い。
「大和と唐、この二つの国を玄理の力でしっかりと、結びつけてもらいたい。そう、きみがよく口にしていた永久(とわ)なる友誼(ゆうぎ)と安寧だ」
旻師、玄理師とも、はるかに遠い時代に、大陸からこの国にわたってきた人たちの子孫であると、鎌足はきかされている。しかし、生命が尽きようとしているいま、師の口から最期にでてくることばが、
−−大和と唐の友誼と安寧、
であろうとは、この国の土着の人間である鎌足には、思いもよらないことだった。
鎌足にしても、大国唐とは友好をたもたねばならないと思っている。そのために二艘の巨船で、吉士長丹(きしのながに)と高田根麻呂(たかたのねまろ)を大使とする空前の大使節団を唐に派遣したのである。