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【週末読む、観る】(1)『やまと教』ひろさちや著ほか (1/4ページ)
【書評】『やまと教』ひろさちや著(新潮選書・1155円)
評・島田裕巳(宗教学者)
神道が日本人の基本的信仰
著者の言う「やまと教」とは、明治以降に確立された国家神道を排除した、日本に伝統的な民衆神道のことである。第4章「やまと教の神々」では、やまと教の基本的な構造が説明されているが、それは明らかに日本民俗学の祖、柳田国男が『先祖の話』で展開した先祖崇拝を基盤とした日本人の神観を下敷きにしている。
ただ、仏教を嫌い、日本の先祖崇拝の構造を仏教の影響抜きに説明しようとした柳田とは異なり、著者は、ホトケとしての死者が仏教の年忌法要を通して鎮められ、祖霊としてのカミになっていくと説明することで、仏教と神道とを接合させている。
さらに「やまと」ということばは、「やさしさ・まこと・とも生き」を意味するとし、それをやまと教の根本教義としている。とも生きとは共生のことだが、著者は現代なら施設に隔離され、差別される重度の障害者とも、ともに生きるのが、やまと教の本来のあり方だとしている。
著者は、仏教を専門の領域とし、平易な表現で仏教の教えについて説いてきたことで知られる。もちろん、比較の意味で、他の宗教について言及することはあっても、あくまで仏教をベースにおいてきた。
ところが、本書では、やまと教という神道こそが日本人の基本的な信仰であるとされ、仏教はそこに少ししか影響していないと説明されている。なにしろホトケは、最終的にカミとなるからだ。
そう結論せざるを得ないことを、著者は「とても残念なこと」と語っている。ならば、本書は、仏教が伝来して以来1500年が経(た)っても、神道の基盤はゆるがず、逆に仏教が神道化されてしまったことを認める、仏教の側からの敗北宣言になるのだろうか。
日本の知識人が、晩年に伝統回帰することは珍しいことではない。本書はその新たなる一例になっているように思われる。
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ひろ・さちや 昭和11年、大阪府生まれ。東京大大学院博士課程修了。気象大学校教授として長年にわたり哲学を講じる。