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【青雲の大和】(301)出で立つ日 (1/2ページ)
難波(なにわ)の皇居、長柄豊碕(ながらとよさき)の宮からでてくると、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)はなおも苛立(いらだ)ちをぬぐえぬ顔で、
「すぐ飛鳥にむけて発(た)つ」
と、はげしい口調で鎌足(かまたり)に告げた。
「ただちに、でございますか」
「そうだ、いますぐにだ。どこか飛鳥に仮宮(かりみや)に使えるところはないか」
皇太子府をそこへ移し、国家改新の遅れをとりもどすべく、みずからの陣頭指揮による巻き返しにかかるというのである。
「飛鳥の南に以前、建てられました河辺(かわら)の宮がございます。あれなら朝堂に使える別棟も二、三あって、すぐに執務をはじめることができようかと思いますが」
果敢にして短気な中大兄のことである。飛鳥へ都をもどす話が進みだしたときから、鎌足はいつでも皇子(みこ)の要求に応じられるように、遷宮先のめぼしをつけておいたのである。
「よしそこに決めた。あす、すぐに移るから、手配してくれないか」
皇居でみせた険しい顔の苛立ちが、ようやくおさまるふうである。
飛鳥から難波に都を遷(うつ)して、ことしで七年、いまも多くの者は飛鳥に屋敷をそのまま残している。鎌足も飛鳥の東の山すそに自邸をおいており、移るのは造作のないことではあったが、あす発つとなると、いささかあわてざるをえない。
難波の街では翌朝から、鳥が飛びたつように、官人らのあわただしい集団移住がはじまった。
当初、中大兄皇子と鎌足の方針では、皇太子府に出仕して改新業務にたずさわる者のみをひきつれていくつもりだった。
もちろん皇太子一家は、皇祖母(すめみおや)とよばれる母君と、弟の大海人皇子(おおあまのおうじ)は飛鳥に移ることになるのだが、鎌足にとって予想外だったのは、大君の后(きさき)である間人(はしひとの)皇女(ひめみこ)が、
「わたしも行く」
と兄、中大兄皇子について、難波の皇居をでてきてしまったことである。
大君と皇太子のあいだでこじれつづけた遷都の問題は、ついに大君と皇后の別居、つまり事実上の離婚という事態をまねいてしまったのである。
混乱はそれだけではなかった。