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【青雲の大和】(296)出で立つ日 (1/2ページ)
鎌足(かまたり)は脇にひきさがり、面(おもて)を伏せた。大君(孝徳天皇)を迎えるためである。
そばで真人(まひと)が、少年らしい白いうなじをみせて平伏している。
以前患(わずら)われたことのある右脚を少しひきずるようにして、大君がはいってこられると、横臥していた旻(みん)師が床(とこ)から苦しげに身を起こそうとした。
「そのままに、そのままに」
大君はいそいで病床のそばまで歩みより、旻師の肩にみずから手をかけて、やさしく寝かしつけようとされた。
大君には軽皇子(かるのみこ)とおよびしていたころから、鎌足は親しく接していただいているが、臣下に対してこのようにこまやかな心をしめされる姿を眼にするのは、はじめてだった。
旻師のからだを抱くようにして、褥(しとね)に横たえると、大君はその手をとって語りかけられた。
「そなたに死なれたら、われはどうすればよい。そなたも気づいておろうが、皆が皆、われを見捨てようとしているのであるぞ」
なにかを怨(えん)ずるような、くぐもるように低い声である。
旻師の枕元にいて、その声をきいた請安(しょうあん)師がけげんな顔で鎌足のほうに眼をむけた。都から遠くはなれた南淵(みなぶち)の里に隠棲(いんせい)して、昨今の事情にうとい請安師には、その意味がわからないようである。
鎌足は眼を伏せ、わびるように大君の背にむかって低頭した。御心(みこころ)をそこまで悩ませている事態に、鎌足自身が深くかかわっているからである。
いわば至上の地位にある大君と、執政権をにぎる皇太子の中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)との確執である。
中大兄は大君の発議による難波遷都の後、鎌足の進言をいれて、できるかぎりの執政権を朝廷側に委譲しようとつとめてきた。しかし、その結果は眼をおおうばかりの改革の遅延であった。
果敢にして短気な中大兄は、ついに切れたというべきであろう。執政権を元通りすべて皇太子府にもどし、さらには都を大化改新の原点である飛鳥へ返したいということを大君のもとへもうしいれたのである。