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【青雲の大和】(292)巨船が行く (1/2ページ)
新羅(しらぎ)からの帰りは、対馬(つしま)と壱岐(いき)の津々に寄り、ゆっくりと船を動かして、まずは安全第一でもどってきた。
那津(なのつ)(博多)でふたたび水夫(かこ)を総入れ替えし、穴門(あなと)で二十人の兵を降ろすと、あとは難波(なにわ)の都に回航するばかりである。
この季節、瀬戸内はさわやかに晴れあがっている日が多い。しかし、秦(はた)の心は暗雲にとざされたように、うつうつとして晴れなかった。
大和の国はじまって以来の巨船を二艘あたえられ、新羅まで乗りこんでみたものの、秦があげた成果といえば、新羅の使者を脅して、こんごも年毎に調(みつぎ)をもちきたらせることを約束させただけである。
あれだけ脅しておけば、おそらくもう唐服を着てくることはないだろうが、成果はただそれだけだった。
−−これではたして、鎌足(かまたり)どのの信頼をつなぎとめられるだろうか。
という不安が、秦の胸にはある。
あの吉野(よしの)の乱にくわわって謀反の大罪を犯しながら、鎌足によって救われた身としては、鎌足の信を失えばそれで人生のすべてが終わってしまうかもしれないのである。
秦のこの焦燥がうつったのか、雄君(おきみ)も船上をそわそわと落ちつきなく歩きまわっている。
「おれ、帰ったら内臣(ないしん)に叱りつけられるだろうな、きっと」
鎌足の指示をうけたわけでもないのに、調子にのって兵をつれ、新羅にまで遠征してしまったことをいまになって、ひどく悔いているのである。
「叱られるだけなら、まだいいが、おまえなんかもういらないとかいわれて、美濃(みの)へ追いかえされてしまったら、おれ、どうすればいいんですか、秦どの」
淡路(あわじ)の海峡をすぎ、難波の港が近づくにつれ、雄君の憂いはますますひどくなり、船上ところかまわず足で蹴りまくるような乱暴をくりかえしはじめた。美濃の在郷勢力の手下であばれまわっていたころに、身も心も返ってしまっているようである。
難波への最後の航程にはいって、風はまた西寄りの順風にかわっていた。二十人の水夫は左右の船べりにわかれて、勢いよく櫓をこぎだしている。彼らはこの巨船を生んだ安芸(あき)の港ではたらく水夫であれば、史上最大の巨船で都にのりつけるのが誇らしいのである。