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【週末読む、観る】(4)『七つの人形の恋物語』ほか (1/4ページ)
【書評】『草すべり』南木佳士著(文芸春秋・1575円)
評・陣野俊史(文芸評論家)
■人生と相似している山歩き
南木佳士の新作は、浅間山を中心にした山岳地帯に登る4編で構成されている。中年過ぎてから山に登るようになった主人公は、つねに死と向き合わねばならない医療の現場から半ばリタイアし、プレッシャーのきつくない仕事へと異動している。では、仕事に見切りをつけて山に生きる男の話か、というとそうではない。
たとえば表題作。東京の郊外の高校を出てから40年ぶりに手紙をくれた沙絵ちゃんが、山に登ろうと誘ってくれた。もちろん断ってもよかった。アップダウンの激しい登山道。だが、主人公は沙絵ちゃんと標高差のきついコースに出かける。2人の間にはギクシャクした会話しかない。高校のころの記憶がほどけるように浮かんでくる。そう、南木の小説を覆っているのは淡い記憶だ。少しずつ記憶が小説の表面に溶け出してくる。
何か大きな事件が起こるわけではない。年齢を重ね、病いを経験し、無理のきかない身体になって、黙々と山を歩く男女に何が起こるわけでもない。だが、難コースを歩き終えた小説の最後、「まだ、もう少し歩いていたいよね」という沙絵ちゃんの言葉が胸に刺さる。もちろん山歩きと人生は相似したものとして語られている。だがその語られ方はとてもさりげない。声高な主張はまったくない。南木の小説の美点はここにある。記憶と現在が無理なく併存していて、一個の思想や主張に固まることがない。
おそらくこの小説集は私小説に分類される。山での体験ばかりを書いている作家がいて、身体感覚と医者としての死生観がベースになっている。南木佳士その人と主人公が重なる。その一方で、いま他の人によって書かれている私小説が、キテレツな私をあえて作り上げたり、大声で叫んでばかりいる私を前面に押し出したりしていることが、どこか滑稽(こっけい)に思えてくる。どうして山に登るのか、と尋ねられた主人公が、生き延びてみたらからだが変容していた、と答えるところがある。自然体の私小説の佳作。
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なぎ・けいし 昭和26年生まれ。秋田大医学部卒。「ダイヤモンドダスト」で芥川賞受賞。