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【週末読む、観る】(3)『人くい鬼モーリス』ほか (1/4ページ)
【旬を読む】『バーデン・バーデンの夏』レオニード・ツィプキン著、沼野恭子訳(新潮クレスト・ブックス・1995円)
評・作家 田中慎弥
■ドストエフスキーを追った旅
ふたつの旅が描かれる。ペテルブルグから出発するドストエフスキー夫妻の新婚旅行と、ソ連時代にモスクワからレニングラードへ行く語り手の旅。彼の手許(てもと)にはドストエフスキーの妻アンナの日記がある。「今のレニングラードではなく、当時のペテルブルグに私は向かっている、それはなぜなのだろう? 何のためにこの本を今、車中で読んでいるのだろう?」という文章を読む時、読者もまた旅を始めている。『バーデン・バーデンの夏』といういわば3番目の旅は、静かではあるがやっかいだ。改行や句点がほとんどないまま、ふたつの旅がまぜこぜに描かれる。歩きやすい旅程ではない。行ったり戻ったりしながら進まねばならない。そうするうちに、重層的な時間へと巻き込まれてゆく。
旅先で賭博に熱中するドストエフスキーは、「ひざまずいてアンナ・グリゴーリエヴナを天使と呼び、不幸せにしたことを許してくれと頼むほうが頻繁だった−すると彼女は繕い物の手を休め、そっとため息をつき、黙ってタンスに近づき、最後のフリードリヒ・ドルやグルデンやフランを渡した」。現代の読者からすればこの場面は、残酷ながらほほえましくも思えるところだが、語り手の視線はどこか冷めている。大作家を追いかけ、寄りそいながらも、礼賛にはならない。
この語り手はツィプキン自身と思われる。ツィプキンはロシア系のユダヤ人。そしてドストエフスキーは、ユダヤ人を嫌っていた。語り手はそのことから目をそらさず、「ドストエフスキーはそれほど物事の本質が見えない人間だったのか?」と書く。これは批判でもあるだろうが、永遠の問いかけだとも受け取れる。あんなにも面白い小説を書いた作家がなぜユダヤ人を徹底して嫌ったのか。そう問い続ける必要がツィプキンにはある。彼は、それでもやっぱりドストエフスキーの小説が好きだったからだ。そしてこの問いかけは反転し、あれほどユダヤ人を嫌った作家の小説をなぜユダヤ人である自分は好きになってしまったのか、という問いかけに変わるだろう。