大衆の大きな支持を得てきた新国劇が昭和62年のこの日、中心役者の高齢化や後継者難で解散に追い込まれた。島村抱月主宰の芸術座を脱退した沢田正二郎が新派と新劇の中間に位置する、新しい国民演劇を目指し、大正時代に設立。名せりふ「春雨じゃ、濡(ぬ)れてまいろう」の「月形半平太」や、「赤城の山も今宵(こよい)かぎり」の「国定忠治」の剣劇で人気を博した。
沢田の急死後は、辰巳柳太郎、島田正吾が、二枚看板として「一本刀土俵入り」や「瞼(まぶた)の母」の股旅(またたび)物で黄金時代を築いた。