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【青雲の大和】(289)巨船が行く (1/2ページ)
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旧任那(みまな)の地の東端に、漢語で風島(ふうとう)とよばれる島がある。これまで二度、新羅(しらぎ)に乗りこんだ文麻呂(ふみのまろ)の話では、ここを過ぎると、もう新羅沖に島はないという。
「やるか」
島の高みに、みすぼらしい数軒の民家がみえてきたとき、秦(はた)は巨船の舳先(へさき)に立っていった。
「やりますか」
かたわらに立つ雄君(おきみ)が、赤黒く日焼けした顔に笑みをみせていう。
島から対岸までは、泳いで渡れそうなほど狭い。二艘の巨船をのりつけ、島を占拠して陣取れば、新羅本土の対岸は大騒ぎになるにちがいなかった。
大和の兵が新羅を討つのは、かの聖徳太子が斑鳩(いかるが)の宮で没せられた翌年、小治田(おはりだ)の大君(推古天皇)の発議で征討軍が任那の地にのりこんだとき以来で、じつに二十八年ぶりということになる。
そのとき、鎌足(かまたり)の叔父、中臣国(なかとみのくに)と蘇我(そが)系の境部雄摩呂(さかいべのおまろ)が大将軍となって、おびただしい数の兵船を海にうかべ、新羅側をふるえあがらせたという話を、秦は同族の大先輩である秦河勝(はたのかわかつ)からきかされていた。
いま、船は二艘、兵は二十人でしかない。しかし、この巨船のなみはずれた偉容は、大和の威を新羅に誇示してみせるにじゅうぶんではないかと思われる。
秦が風島上陸を指令し、雄君が兵を武装させて船上にならばせていると、知万(ちま)が血相を変えてとんできた。
「やめてください、おねがいだ。やめてください、わたしの首が飛ぶ」
「あんたの首が飛ぼうと、くっつこうと知るもんか」
雄君が知万の方をみむきもしないで、いってのけた。
「秦どの、秦どの、あなたはこれをゆるされるか」