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【外から見た北京五輪 宴の後】(中)ロシア/英国 (1/3ページ)
≪ロシア≫
■欧米の猛反発招いたグルジア紛争
ロシアは、北京五輪が開幕したその日(8月8日)に発生したグルジア紛争により、「平和の祭典」どころではなかった。欧米の激しい反発を引き起こしたこの紛争は、中国がチベット騒乱で国際社会の非難を浴びたのと似た構図をもたらし、反発の矛先がいずれ、ボイコットという形で2014年ソチ冬季五輪に向けられるのではないか。そんな懸念が、ロシアに芽生えている。
「北京五輪の開会を犯罪的な行為に利用した者がいた。攻撃を指示した者の名前は永遠に残る」
先月30日、メドベージェフ大統領はクレムリンに祝福のため招いた北京五輪のメダリストを前に、グルジアのサーカシビリ大統領を非難した。ロシアが獲得した金メダルは23個。過去4回の夏季五輪で最低だったことなど、気にも留めていないかのようだった。
国内テレビは五輪の期間中、ロシアの選手が登場する試合を放映したが、定時のニュースはグルジア紛争で埋め尽くされた。そして、紛争の間メドべージェフ大統領らロシア政府首脳が陣頭指揮を執ったのが、ロシア南部ソチにある政府専用別荘である。
ソチで6年後に開催される冬季五輪については、ボイコットや、開催地の変更を求める声が欧米で出始めている。3月のチベット騒乱が、北京五輪の開会式ボイコットの動きに火を付けたのは周知の通りだ。
カーネギー・モスクワセンターのアレクセイ・マラシェンコ氏は、「6年先のことを議論するのは無理がある」としたうえで、「ボイコットするという決定を(一定の国が)下せば、ロシアにとり大変な痛手になる。面目は失墜し、財政面の損失も免れない」と話す。
ソチ五輪の実現には、プーチン首相が大統領当時から熱意を注いできた。07年、グアテマラでの国際オリンピック委員会(IOC)総会に乗り込み、下馬評を覆しソチに決まった。
ソ連時代の1980年モスクワ五輪では、前年のアフガニスタン侵攻を受けた欧米諸国のボイコットという憂き目にもあった。それもあり、ソチ五輪の「成功」は「悲願」ともなっている。



